私は高校生まで神奈川県の鎌倉市で育ちました。
夜空を見上げても、一等星と二等星が見える位の星空。特に星が好きだったわけでもなく、小学生の頃には、オリオン座とカシオペヤ座、北斗七星からの北極星が分かれば、それなりに星空を楽しめているような気分になっていました。
大人になり、夜景はもっぱら、市街地を見下ろす事で楽しむようなレベル。でも、オリオン座だけは時々見上げては、「あ、オリオン座」とつぶやくような関係でした。
仕事でプラネタリウムの番組を作成するようになり、それなりに各季節の星空の観方や、星の事、惑星の事、科学技術の事、宇宙論の歴史、宇宙へ旅立った技術や人の事を学ぶことができ、今日にいたります。それは仕事なので、星空と自分の関係ではなかったように思います。
■父が迷子になりオリオンを見上げる。
ある日、母から電話があり、高齢の父が迷子になったとの事。冬の寒い日でした。父は1人では電車やバスには乗れないような状態でしたので、それはそれは心配でした(結果的に父はタクシーで自宅に戻るのですが(笑))。
東京(職場・住居)で母の電話を受けたのが19時位。この時点でまだ父は行方不明です。警察にも連絡してあり、また、広域無線を使用して安否の呼びかけもしたそうです。父を見失ってからもう6時間位たっているのが19時。高齢の父が1人、寒空で夜を明かせる気温ではありませんでした。
東海道線で実家に向かいました。無事を祈り、行方不明になったあたりを息子の私が走り回れば、神様の導きできっと生きている父にまた会える、そう信じて電車の中で祈り続けました。もっと怖い事も色々想像してしまいます。
JRの駅を降りて、さぁ、神様父の元へ私を導いてください、と歩みを進めた時に、母からの電話「お父さん、自分でタクシーで帰ってきたよ」。
安堵がこんなに重いとは知らなかったです。押しつぶされそうな安心を経験しました。
その後、自宅までの坂道を歩いていると、オリオン座が夜空に鎮座して私を見ていました。
オリオン座は一部始終をみていたのでしょう。「よかったね」とも「俺が助けてあげたんだぜ!」とも言わずに、ただただそこに居りました。昔、父と見上げたオリオンの姿が脳裏を埋めるように鮮明に色を持ちました。その脳裏のオリオンと目前のオリオンが、やっぱり何も言わないのですが、変わらぬ姿で静かに見ていてくれました。
自宅に到着したのが20時過ぎ。
父の顔を見つめて、何事もなかったかのように、「かえっていたんだね」と伝えると、父はにこにこしながら、「おお、帰ったか」と次男の顔を迎えてくれました。老夫婦と一緒に暮らす三男も涙目ながら笑顔です。
私は母を労いつつ、警察に父が帰宅した事を連絡したり、広域無線で心配になって母に電話してくれた方々に電話を入れたりと、それなりに忙しくした夜でした。
無事でいてくれてありがとう、と父を見つめる時、なんとなく、オリオンにも感謝の気持ちを伝えていました。
その日からそれまでお仕事であった星空の世界が、心の故郷にある星空となり、いっそう愛おしい存在になりました。